ちょっと22年寄り道してきました

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「色々あったけれど今は落ち着いた暮らしを手に入れられて幸せ」
これは私がずっと憧れ続けていた台詞です。一体いつになれば私はこう言える日がくるのだろう、それ以前にそんな日がくるのだろうか。
体調不良による高校中退から始まり、引きこもり寸前の状態からやっとの思いで抜け出した矢先に、パニック障害を発症して外出恐怖に陥り、荒療治とも思えるような外出訓練と大検合格のための勉強を続けて努力が実った矢先、今度は突然祖母の介護生活が始まり青春を諦めかけた二〇代。
様々な人の助けで家から出られるようになり、二五歳にしてやっと仕事を始められたかと思えば再びの体調不良、そして祖母の認知症悪化により再びの介護生活。追い打ちをかけるような体調不良で、五年間無職になった三〇台。
よくもこれだけ次から次へと、何かが動き出した矢先に試練が届いたものです。あの状況から抜け出せた私の経験は、決して誰かが脱出方法を教えてくれたわけでも、マニュアル本があったわけでもありません。
今が幸せと思える私がどのようにして、不安や焦りと閉塞感に満ちた日々から抜け出せたのか、ほんの少しでも興味を持って読んでいただければ嬉しく思います。

田仲紀子

【試し読み】

高校中退を余儀なくされた心と体の病

 

突然の異変

ほとんど学校を休むことなく健康で、放課後はバンドの練習とアルバイトをしながら高校生活を楽しんでいた私の体に異変が起こったのは、冬休みが明けて間もない高校二年の冬のことです。

胃腸の風邪を引いたときに食欲が落ちて、食べてもすぐにお腹を壊すようになりました。前にもこういうことはよくあり、大体一週間もすれば回復していたので最初はあまり気にしていなかったのですが、このときは今までとは違って回復する兆しが見えませんでした。アルバイトを辞めて少し体を休めれば落ち着いてくるだろうと思っていましたが、体調は落ち着くどころか日に日に悪化して、二月の中旬にはまったく食べ物を受け付けなくなりました。食べ物が頭に浮かぶだけで吐き気をもよおすようになり、チョコレートや飴を一粒、やっとの思いで口に入れることが精一杯という状態で、みるみるうちに痩せて体力がなくなっていき、学校を休み始めて一〇日を過ぎたころから次第に心が病んでいきました。

 

恐怖の対象に転じた友人と学校

まず、電話やインターホンの音が怖くなりました。こんなに急に休むようになって、学校の皆に変に思われているではないかと思っていたので、自分に関わる連絡が友人や学校からくることに恐怖を覚えて、心配した友人が電話をかけてくれても家に来てくれても私は一切会うことができず、電話やインターホンの音がするだけで体が震えて涙が出るようになったのです。ついこの前まで元気だった私が急に学校へ来なくなり、しかも会うことも話すこともできないというのですから、友人はどんなに困惑したことかと思います。

このことが更に罪悪感として私の心に重くのしかかり、ひとしきり泣きわめいていたかと思えば急にボーっとすることの繰り返しで、私の心はあっという間に壊れました。嘆きと悲しみ以外の感情が消えて目はうつろ、どうして自分がこうなったのかまったく分かりません。これが二月の終わりのことで、わずか二か月前の大晦日には友人とオールナイトのカウントダウンライブに行き、希望でいっぱいの新年を迎えていました。あのとき、自分も含めて誰が今の私を想像できただろう、そんな思いがよぎっては再び涙が溢れて止まりませんでした。

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